シオタの塩分過多な日常

シオタです。「しょっぱい自分が、塩分過多な毎日をどう過ごし、いかに楽しく生きていくか」がテーマです

まるで“モンスター”の如く


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『伝わる』には、必要なモノが幾つかあるんだなあ。

会社を立ち上げてから、俺たちの想いを、世界に伝えるために様々な事に苦心惨憺しながら取り組んできた。その取り組みのために、迷走して、あわや仲間割れか?なんて事も何度かあったように思う。あれだけ、理念や想いが一つだったと思っていたにも関わらず、迷いが生じるとこんな風になるんだなあなんて思った記憶がある。それくらい、人に伝えようとすると、当初の形からずいぶんと変化していって、挙げ句の果てには、「これじゃ、何だかよくわからないよ」なんて言われてしまう始末だった。

そんな時間を過ごしてきて、なんとかかんとか形になったものが、今、ようやく様々なところで反響を呼び始めてきた。つまりは、伝わりはじめて来たのだ。

当初から考えると、パッと見たときの形はずいぶんと変わったような印象を与えるかもしれないけど、実際には、根本は何も変わっていない。ただ、その中身の意味が、大きく充実しているのだ。例えるなら、ボクシングを始めたばかりのヤツが打つストレートと、死ぬほど練習を重ねて10年経過したヤツが打つストレートくらいの違いだ。同じストレートという技名だけど、その質も意味も何もかもが別物だ。でも、素人から見たら、単なるストレート。だけど、そのパンチを受ける人からしたら、全くの別物だし、そもそも威力が違いすぎる。そんな感じだ。

そんな、磨き抜かれたストレートが、様々なところで威力を発揮しはじめたのだ。何しろ、見る人が見たら、今の俺たちの繰り出すパンチは、ジャブだろうがフェイントだろうが、全てがKOパンチに映るようなのだ。

その反面、見る人によっては俺たちのパンチも素人のパンチも同じに見えてしまうらしいので、まだまだ修練が足りないんだなあとは本気で思ってもいる。

とは言え、当面のところは、わかる人にわかれば良い。まずは、そこから固めていって、玄人受けするボクサーとして名を馳せて行こうと思ってる。

だけど、それができたらいよいよ次の段階だ。

誰が見ても、明らかに本物のボクサーである。相手がどんな人であっても、仮に俺たちの事を「気に入らない」と思って見ている人に対しても、本物である事が伝えられる存在として、立つ。

『伝わる』かどうかは問題じゃない。『伝える』ができるヤツになる。それをできる限り早い段階で実現する。

今の目標はそれだけだ。