ジムワークから見える相対化の必要性
今日は久々にジムに行きました。実に1週間ぶり。
もうどこの部位も筋肉痛が無い状態で、全身フレッシュだったので何のトレーニングをしようかなと考えたんですが、やっぱりこういう時は一番好きなトレーニングを!という事で、デッドリフトをしました。プラス背中のローイング種目。
さすが久々だけあって、体はフレッシュ、されど毎セットで気もちを作るのが本当に大変でした。こんな事書いていますが、扱ってる重量がしょぼいのは百も承知なので、もちろん何kgなのかは記載しません(笑)
それでも、最終的には背中のバーン感も得られて十分なトレーニングだったなと満足して、帰路につきました。
ところが、
ついうっかり、帰り道に本屋に寄ってしまったのが運のつき。
1時間程度本屋をウロついて、帰る頃には3冊の本が。
しめて6千円弱。
うーん。
いかにGWとは言え、使い過ぎたかと反省。
普段だったら3冊買ったところで、量も金額もそんなに気にしないんですが、
実は、
遡る事数時間前・・・・・・
「いやー、今日は朝から3時まで娘のおもりしたからちょっと街中ふらついてこようかな」と言って家を出て、それから数分後には近所の本屋をうろつく俺。
30分程度うろついた後に、前から買おうと思っていた本を3冊購入。
あれ?
この後の未来に起きる出来事のデジャブ?(未来のデジャブは存在しない)
という事で、実は、ジムに行く前に既に3冊の本を購入し、同じ位の金額を使っていたという。
これ、奥さんに気づかれたら相当怒られるやつだから、ついうっかり、本を買った事が気づかれないように奥さんが寝室に向かった後に自分の本の本棚の中に紛れ込ませるという高等技術を使いました。どの辺が高等技術かというと、うちの奥さんは俺の本に一切の興味を持っていない、というか、邪魔だと思っているので今更数冊増えても絶対に気づかないんです。ドヤ!(高等技術でもなんでもない)
で、ここからが今日の本題なんです。
「今からかよ?」と思った方、安心して下さい。
本題なのに、すぐ終わります。
今日の本題は、『相対的評価と絶対的評価』です。
ジムでとレーニングしていると、ジム内で様々な人達を見かけます。
本物のボディービルダーやベストフィジークなどのコンテストに出場する選手たち。
他にも、様々なスポーツの補助トレーニングとしてジムに通う選手たち。
そして、この辺が越えられない壁になるんだと思うけど、一般のトレーニー。
で、この一般のトレーニー達の中に様々な層がいるんです。
例えば、一般人レベルでは『いいからだ』と言われる程度の体格の人や、一般人レベルでは『知識のある人』と言われる程度の人達。この人達が、更衣室の鏡の前でポージングの真似事をしていたりするわけです。明らかにコンテストに出るレベルではない人が。それも一人ではなく、一緒に通っている自分の仲間たちの前で。
これが、相対的評価と絶対的評価の分かれ目というか、必要な部分というか。
相対的・絶対的。
これを常に意識して生きていけるかどうかって、
その人の人生をホントの意味で豊かにする事ができる大切な概念なんだなと思いました。