それを言っちゃあおしまいよ!
俺は、会社の中では『クレーマー対応』を兼務している特命係長だ。
ちなみに、係員はいない。
そう、俗に言う、名ばかり管理職だ。
今日もいつものように、素敵なクレーマーがやってきた。
まあ、こればっかりは仕方ない。
来店するお客さんがどんな人なのかは、対応するまでわからないのだから、運悪く、クレーマーがやってくる事もある。
ただ、クレーマーが「責任者を呼んでくれ」と言ったその時に、俺の上司は対応に行かず、俺を対応に行かせるのはいかがなものだろうか?
更に、「今後の対応は全てシオタに一任すらる。他に何かアイデアあるなら言って?あるの?良いよ言って」と、明らかに他の代替案(とは言っても俺か上司が対応するしかないのだ)は俺から出てこないのは折り込み済みで、こんな投げ方と逃げ方しなくても良いのに。
そう思った。
確かに、めんどくさい事に巻き込まれたくない気持ちは分かる。
誰かに任せて、自分はノータッチでいたい気持ちは分かる。
代替案を聞く姿勢は見せたから、という大義名分を手に入れたいのは分かる。
だけど、
任せる人は、任せる事に慣れてはいけないんだと思う。
肩代わりしてもらう人は、その事に慣れてはいけないんだと思う。
やましい気持ちや、後ろめたい気持ちは、誤魔化したらいけないんだと思う。
それをされた側は、きっと今日の俺みたいに不信感を抱くから。
そして、『エトス』は失われていく。
『エトス』が無ければ、人はついていかない。
そして、その人の言うことは、誰にも届かなくなる。
今日は、上司の態度を見ていて、あらためてそう思った。
『仕事』は、仕事だからやる。
どんなクレーマーだろうと、いつでも対応する用意はあるし、どんな時でも対応できる力もある。
だけど、俺自身の能力『エトス』のある人、そういう人達の為に使いたい。
「何を言ったかよりも、誰が言ったか」
よく謂われる事だけど、
人が誰かの為に頑張る、誰かの為に力を合わせるなどは、やはり「誰」がの部分が大事なのではないのかな。