最期の瞬間に果たしてそう言えるのか?
今日から2月が始まった。
と言うか、もう1月が終わったのだ。
そして、2月も1日目が終わる。
今年が始まって、一つ決めた事がある。
それは、
2019年の年末で死ぬということだ。
とは言え、本当に死んでしまうわけではない。今のところ何かの病にかかっているという診断をされた訳でもない。
だけど、のほほんとずっと生きていられる保証も無い。
なぜなら、未来の事は分からないからだ。
もしかしたら事故に遭って死んでしまうかもしれない。
もしかしたら病気になって死んでしまうかもしれない。
もしかしたら災害に遭って死んでしまうかもしれない。
であれば、あと一年しか生きられないと思いながら毎日を生きていけば、後悔することの少ない日々を過ごせるんじゃないかと思ったのだ。
だから、目安として、年末までしか生きられないと思いながら生きることにしたのだ。
そう思いながら過ごしていると、無駄な事をやっている暇が段々と無くなってきた。
「自分が年末までしか生きられないのに、こんなことやってる時間はあるのか?」
そう自分に問いかける事が一日の中で何度もある。
今までのように周囲の目を気にして行動することが減ってきた。
やりたいことがあっても、タイミングが来るのを待ってからやろうかなと考える事が減った。
嫌なことを我慢してやる事が減った。
自分がやりたいことの為にやるべき事を後回しにすることが減った。
物事の決断に躊躇することが少なくなった。
そんなふうにして、これまでよりもかなり生活の質が上がった気がするのだ。
考えてみたら当たり前なんだけど、明日も同じ毎日がやってくるかどうかなんてわからないんだから。
2011年3月11日に、そう言っていた事を、数年ぶりに思い出したのだ。
2019年は残り333日。
もし、毎日を悔いの無いように過ごしていければ、いつかわからないけど、いざ死が目の前に迫ってきた時でも人生でのやり残しを悔やむ事は少なくてすむのかもしれない。
その時には、例えば、ラオウのように言えるのかもしれない。