シオタの塩分過多な日常

シオタです。「しょっぱい自分が、塩分過多な毎日をどう過ごし、いかに楽しく生きていくか」がテーマです

勇者になるために通らなければいけないのだ


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ドラクエをはじめとしたRPG をたくさんやったけど、冒険ものは大抵、裸一貫の主人公から始まった。

これは何故なのか?
そんな考察をしてみたことは今まで一度も無かったけど、今日初めて考えてみた。

何でそんな事を考えたのか?
話せば長くなるので手短に言うとすると、いつも俺が唱えている、正確には俺たちが唱えている『主人公』について考えたからだ。

その昔、ファミコンのゲームをやりこんでいた小学生時代の事だ。ドラクエでは復活の呪文という今で言う、セーブ機能があったのだ。詳しくは、Wikipediaを参照してもらいたい。そういうシステムがあったのだが、その中に、「ゆうていみやおうきむこう~」から始まる呪文を入れるとかなり強い状態からゲームを始められるという裏技があった。そもそも、今の時代に裏技という概念が通じるかどうかもよく分からないが、そういうものがあったのだ。
そんな、チート技を使ってドラクエを始めると、かなり強い状態からゲームをスタートできたのだ。その状態で進んでいくとある一定のところまではノンストレス状態でゲームを進める事ができるのだが、このノンストレス状態が実はストレスになってしまうという事がよく起きていた。

どういう事かと言うと、自分のレベルが高く装備も揃っている為に、敵があまりに弱すぎて戦闘に意味を見いだせず逆にストレスになるという状態だ。

恐らく、スタート初期の何も思い通りに進まないストレスフルな状態を緩和する為の施策として設けられた裏技なんじゃないかなと想像するが、今から考えると、その裏技の存在自体がストレスをもたらすというパラドックス。ここまでは想定外だったんだろうなと今日思い至ったのだ。

だからこその、RPG 裸一貫スタート説なんじゃないだろうか?

だからこその、もはや無理ゲーレベルスタートなんじゃないだろうか?

それにしたって、スペランカーは無理ゲー過ぎるとは思うけど、ドラクエレベルであれば『主人公』が裸一貫スタートなのは、その物語性を高め、主人公が主人公であるために必要な事であり、『主役』には到底無理な話なのである。

つまるとことろ、『主人公』として生きていく為には必要不可欠な初期条件こそが、裸一貫スタートだと言う事なのだ。

ここまで書いてみて、
「そりゃそうだ」と思うしか無いという事がよくわかった。

なぜなら、どんな相手にでも確実に勝てると分かっていたら、その冒険には、冒険を冒険として成立させる為に最も必要な事柄が不足してしまうからなのだ。

それは、“スリル不足”

そんな事を、今日思い立ったのだ。