やっぱりいつだって最終的にはこういう事なんじゃないのかね
「そこに愛はあるのか?」
どっかで聞いたようなセリフだと自分でも思うけど、最近よく考える事なのだ。
自分が話す内容について、愛はあるのか?
自分がする行動について、愛はあるのか?
自分が取り組む仕事について、愛はあるのか?
「もちろん、ある」
そう答える人は恐らくたくさんいるのかもしれない。
いや、むしろたくさんいて欲しいと思っている。
じゃあ、そう答えた人にはそこから更に自問して欲しい。
「それは何に対する愛なのか?」
特定の誰かに向けた愛なのか?
特定の物事に向けた愛なのか?
ありとあらゆる存在に向けた愛なのか?
愛の対象は色々あるのかもしれない。
だけど、その愛は、自分の言葉や行動や仕事にも向けられているのか?
自分の話した内容に愛があるのならば、その話の内容がどれだけ「そんな話は突拍子も無いものだ」と他人から言われたとしても、その話は衝撃のストーリーに昇華することがあるだろう。
自分のした行動に愛があるのならば、その行動がどれだけ「何でそんな事やってるのか分からない」と他人から言われたとしても、その行動は痛快なアクションに変貌を遂げることがあるだろう。
自分の取り組んだ仕事に愛があるのならば、その仕事はどれだけ「だれでもできるような仕事だ」と他人から言われたとしても、その仕事は前人未到のイノベーションを巻き起こすことがあるだろう。
それらはどれも、己の愛が他人に届いた時に起きる事だ。
人の心が動くのはいつだって誰かの何かの愛が届いた時だけなのだから。
そういう愛を心に刻んで、毎日生きていく必要があるんじゃないだろうか。
だから俺はこれからも問うていきたい。
「そこに愛はあるのか?」