シオタの塩分過多な日常

シオタです。「しょっぱい自分が、塩分過多な毎日をどう過ごし、いかに楽しく生きていくか」がテーマです

度重なる慢心による満身創痍の旅


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『我慢』て一体何だろう?

「我慢しなさい」
小さい頃から周りの大人にそう言われた記憶がたくさんある。きっと俺だけでは無いだろう。同じように、我慢をするように言われて大人になった人達はたくさんいるんじゃないだろうか。
そんな大多数の『我慢』をする人達の中に、時おり、我慢をしない人がいると「あいつはワガママだ」と言われたりするのだろう。

つまり、「『我慢』は皆がしているんだから自分だけが我慢をしないなんて許されないんだ」と言う考え方が根付いている人が大多数なんだろう。
そして、多くの人に根付いているであろうこの考え方は得てしてこんな風に派生することが多い。「自分は我慢しているんだから、他の人も自分と同じように我慢するべきだ」と。


我慢の意味を調べたらこんな意味が書いてあった。

  がまん
【我慢】
《名・ス他》
1.辛い事を耐え忍ぶこと。「飲みたい酒を―する」「殴り倒されて―にも立ち上がれなかった」。こらえて許すこと。「この失態も今度だけは―しよう」

 

 

2.仏教
自分を偉いと立てる(わがままな)慢心。
 「―の角が折れる」

きっと、仏教用語が先にあったんじゃないだろうか。そうすると、「自分を偉いと立てる慢心」という意味があって、その後で「辛いことを耐え忍ぶこと」という意味も持ったのかもしれない。そうすると、もしかしたら、『我慢』をしていると自分自身について思っている人は、「辛いことを耐え忍んでる自分は偉い」と思っているのではないだろうか。『我慢』の意味を踏まえて、そう考えると次の話に整合性が取れてくるのだ。

「我慢をしている人は、他人にも我慢を要求する」説だ。なぜならば、自分は既に我慢をしていて偉いのだ。そんな偉い自分なんだから、我慢をしていない他人に我慢を要求する権限があるだろう。だから自分の言うことを聞け。そうでないと偉い自分が機嫌を損ねるぞ!

そうアピールしているのだ。それが、我慢をしてこの世界に存在している人達の特徴なのだ。

だけど、同じことがらや同じ状況を『我慢』ではなく、『楽しみ』として捉えている人達もたくさんいるのだ。こういう人達は、はたからみても楽しそうに見えるのだ。

そんな楽しそうな生き方を、誰でもすれば良いのになあ。そんな事を今日思ったのだ。