シオタの塩分過多な日常

シオタです。「しょっぱい自分が、塩分過多な毎日をどう過ごし、いかに楽しく生きていくか」がテーマです

年1ということはホントは気にしていないのかな?


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今日は七夕だけど天気は雨。

子どもの頃から七夕の日に天の川を視ようと思ってもいつも天気が良くなかった記憶がある。曇りだったり雨だったり。毎年、七夕の日にはそんな事を思い出すのが通例になっている。

でも、今だかつて、七夕の日の過去の天気について俺の記憶が本当に正しいのか検証したことはない。あくまでも俺の中の記憶として残っている天気の話をしているだけだ。今、昔の七夕の記憶を思い出しても、この天気の記憶以外には何も思い出せない。七夕の日に、何をやっていたのか、何を食べたのか、どんな話をしたのか、誰と一緒にいたのか、そんな記憶が何も出てこないのだ。
それなのに、「昔から、七夕の日に天気が良かった記憶が無い」という事を、さもずっと七夕について考えています的な顔をして思い出しているのだ。いや、思い出しているふりをしているのだ。

何の意味があるのかは分からないし、何のためにそういう記憶が作られているのかも分からない。もしかしたら、完全なる真実なのかもしれないし、全くの捏造なのかもしれない。それも分からない。
だけど、七夕の日に天気が良かった記憶が無いと思う自分がいるのだ。

もしかしたら何かの理由はあるのかもしれないし、何の理由も無いのかもしれない。何にも分からないけど、たった一つだけ子どもの頃から変わらない事がある。

俺はずっと、天の川をこの目で見てみたいと思っているといつ事だ。

小さい頃からずっと聞いてきた織姫と彦星の話。その舞台になっている天の川。年に一度だけ会える織姫と彦星を、七夕の日に見てみたいと思っている。

きっとその俺の願いが叶えられないという事についての何かが七夕の日の天気をいつも思い出す事につながっているのかもしれない。

そんな事を、さっき、カレンダーを見て今日が7月7日だと知って思い出したのだ。大したことじゃないはずなのに、ずっと気になっていて、1年に1回だけ思い出す。そんな良く分からない話。