シオタの塩分過多な日常

シオタです。「しょっぱい自分が、塩分過多な毎日をどう過ごし、いかに楽しく生きていくか」がテーマです

今ならまだ間に合うはずだから


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気合いが入る時は、いつも何かのキッカケがある。

日々、常に『やっている』と自分では思っていたけど、どうやらそれは勘違いだったようだ。現に、今日の打ち合わせをして、皆にというか、少なくとも俺には確実に気合いが入ったのだ。
キッカケは些細な事だ。分かりやすく言えば、先々の見通しを具体的に見える化してみたというだけの話だ。そう、会社を立ち上げてから半年後になる数ヵ月先の未来の事を、具体的に数値化して数えてみたのだ。

その結果、気合いが入ったのだ。
という事は、つまり、まだまだ気合いが入るだけの余地が自分の中に存在してしまっていたという事だ。余地が存在していたという事は、すなわち、気を張っていると思っていたのはただの勘違いで、全然弛んでいたという事に他ならない。

「もう雇われの身ではない」そういつも思っていたし、言葉にも出していたけど、そういう発言をさていただけで、所詮はまだまだどこかヌルい感覚を持ってしまっていたという事なんだろう。そんな己の甘さ加減にあらためて幻滅しながらも、ここから巻き返す計画を立てて、それを行動にすぐさま移せる辺りは、自分達の事ながら流石だなとも思ったのだ。

とは言え、ここから先は予定通りのスケジューリングで動かないと、とんでもない未来が待ち構えているのだ。それが、徐々に目の前に迫ってきている。

自分達の夢や希望を叶えるための最初の壁を越えていかなければ、この先に続く道は閉ざされてしまうのだ。

毎日頑張って走っていたと思っていたけど、まだまだ必死さが足りなかったと気付いた。死力を尽くして走るというのはこういう事では無かった。死力を尽くして走るというのは、文字通り、死力を尽くして走るという事なので余力なんて残らないはずなのだ。そんな、とても簡単で、過去に散々やってきた事すらも喉元過ぎると忘れてしまう愚かな自分を、しっかりコントロールして、まずは夢や希望の礎を築かなければいけないのだ。

ここから先は、俺のお気に入りのこの言葉がピッタリだと我ながら思う。

出来るかどうかは問題じゃない。
やるかやらないかが問題だ。

気合いが走るぜ。