シオタの塩分過多な日常

シオタです。「しょっぱい自分が、塩分過多な毎日をどう過ごし、いかに楽しく生きていくか」がテーマです

マリーアントワネットは何を言いたかったのだろう?


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「パンが無ければケーキを食べればいいじゃない」そうマリー・アントワネットは言ったらしい。

世間知らずで庶民の暮らしの事なんて何もわからないうえに、庶民の事などどうでも良いと考えている人。そんな人が言いはなった言葉だという風に言われているのがこの言葉だ。ただ、実際にはこんな事は言っていないという説もあるようだ。昔の事なので、本当のところは分からない。でも、一つ分かるのは、この言葉が、当時は無茶苦茶な論法だったはずなのに、現代だと何の違和感もなく受け取られる可能性が高いのだ。さらに、見方を変えると、この言葉がある意味で本質をとらえているのかもしれないと思わされるのだ。

「パンが無い」というのは、マリー・アントワネットの時代には“あらゆる食べ物が無い”という状況を表す代名詞として使われていたという前提があるはずだ。だからこそ、その後に続く「ケーキを食べればいいじゃない」が、世間知らずで庶民の生活を何も知らずに暮らしている非常識な王族であり、庶民の怒りを買ってしまったとんでもない言説であるという事を示している。だけど、現代では、この「パンが無ければケーキを~」という言葉は、物事を捉える視点をずらして世の中を見てみると良いのではないか?そんな風に聞こえてくるアドバイスにする感じられる。

「パンが無い、そんな状況ならいつまでもパンの事ばかり考えていたって無いものは無いのだ。仕方ないじゃないか。それなら、パンではなくて、食事の代わりにはならないかもしれないが、パンよりもカロリーが高く摂取できる栄養素も豊富なケーキを食べられるようにすることを考えた方が有意義なんじゃないの?」そんな事を考えたのだ。

うまくいかない事があるのなら、一旦、視点をずらして考えてみたら良いのではないか?そうしたら、当初考えていたことよりも更に進んだモノが手にはいる可能性が高まるのではないか。それならば、良い言葉として用いられる事の無い言葉であっても、視点を変えて用いる事で、今までに無かった解釈をして、俺にとって有意義な言葉に変えてしまっても、良かったのではないだろうか。

どんな視点で捉えるか。それで何もかもが変わる事もあるのかもしれない。