シオタの塩分過多な日常

シオタです。「しょっぱい自分が、塩分過多な毎日をどう過ごし、いかに楽しく生きていくか」がテーマです

足りないのは睡眠だけなのか?


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寝不足で頭が痛い。

久しぶりに日付を跨いでの帰宅。帰ってきて、なんだかんだやって布団に入ったのは午前4時半。少し早起きの人だったらもう起きて活動を始めてる時間だ。そこから少し寝て、7時頃に目を覚ます。起きた瞬間から眠いし、疲労感が凄い。

こんなに短い睡眠で仕事に向かうのはいつぶりだろう。もうしばらくやっていないのは確かだ。何年か前は、こういう生活が日常で、これで普通に仕事してたんだから狂気の沙汰だよなあ、なんて思いながら出勤の仕度を整える。疲労感からか、当然の如くお腹は空かないので普段よりはかなり軽めの朝食をとる。そうして出勤。車の運転もいつもとは何となく感覚が違う。眠気は襲ってこないけど、明らかに集中力が散漫になっているのが自覚できるくらいには頭の中がふわふわしている。

会社についても運転の時と同じように、明らかに集中力が無い。何しろ、毎朝チェックしている様々なサイトの文章が読んでいても頭に入ってこない。読んでてもいつもみたいに進んでいかない。そんな感じなのだ。

「あー、これは全然ダメだなあ」なんて思いつつ、必要なメールを書いて送る。想像よりも時間はかかったけど、やらないわけにはいかないやつだ。仲間とのミーティングもなんだかあまりうまく進まない感じだ。明らかに、いつもよりパフォーマンスが低い。何しろ、疲労感が付きまとうし、頭の回転が鈍いのがよくわかる。とりあえず、どうしても今日やらないといけない仕事だけはやったので、一旦それで良しとしておく事にした。できないものはできない。

寝不足がこんなに翌日のパフォーマンスを低下させるなんて。久しぶりに思い出させられた。無理をすると、結局どこかに皺寄せが来るのだ。それも、無理に見合わない大きさの反動が。だから、できるだけ無理はしない。極力、無理は避ける。この方針は今後も変えない。

とは言え、これが毎日やってくる訳でもないので、ごくたまにだったら「これも仕事」という事で。仕事の中で出会った人と、関係性を構築するには、この“お付き合い”が俺達にとっても重要な意味を持ってくる。日中だと、どうしても様々なしがらみから深い部分の話ができない場合がある。これは、人にもよるけど、特に歳上の方には多かったりする場合がある。生きてきた分化や分脈が違うのだろう。だけど、これが一度昼間の仕事の場を離れると、一気に本音の話をしてくれる事がよくある。恐らく、そうやって切り分ける事で、仕事によって生じる強い精神的負荷をコントロールしているんだろう。それによって生まれる一時の自由さ。そこから解放される、その人の言葉。これが、お付き合いの持つ意味なんだろう。昔は、この“お付き合い”の仕事が嫌で嫌で仕方なかった。
「何で、1mmも楽しく無い事に俺のプライベートな時間を使わないとならないんだ」と、本気で思っていた。雇われの身で、会社から与えられた暗黙の業務命令として受け取って実施していた。そういう認識だったので、そこに、俺の主体性も俺の自由も存在しなかった。
でも、今はそれが変わった。本当に嫌だったら断れば良いのだ。誰かに強制されることは無い。するも自由、しないも自由。どっちでも良い。だからこその、お付き合い。決して、訳の分からない軽い名称で呼ばれておきながら、その実、公然と行われる『搾取』なんかでは無いのだ。それに巻き込まれる人達にとっては苦労以外の何物でもないだろう。もちろん、それがその人にとってのチャンスになるとしたら、そこには自由がある。自由があるのと無いのとでは、同じように見える行動も、これくらいの差は出てくるのだろう。

そんな自由を謳歌したが故の、翌日のダメージ。俺はとてもじゃないけどショートスリーパーにはなれなそうだ。この短い睡眠時間は、確実に俺の寿命を縮める方向に作用しているのをありありと実感できる程だ。

こんな事なら、深夜帰宅後に、我慢しきれず井上尚弥vs ノニト・ドネアの試合を録画観戦するんじゃなかった…。