シオタの塩分過多な日常

シオタです。「しょっぱい自分が、塩分過多な毎日をどう過ごし、いかに楽しく生きていくか」がテーマです

何回だってやり直すんだ


f:id:shiotapathos:20191119214504j:image

もう過ぎてしまった事は仕方ない。

何かが起きる度に、いつもそんなことを考えている。

「あの時もっとああしていれば」とか、「あの時あんな事をしなければ」とか、過去についてそんな風に思い悩んでいたこともずいぶんたくさんあったけど、もうここ10年以上は、「過ぎてしまった事は仕方ない」と考えるようになっているので、こう考える方が自分本来の考え方なんじゃないかなと思うこともある。

昔はたくさん後悔して、過去を思い悩んで、そこに囚われて、どうにもならなくて、それでも更に思い悩んで、苦しくて、ただただ戻らない時間についてグチグチと怨み言を呟いて、結局それが全て自分に返ってきて、大酒を飲んでクダをまく。そんな生活をしていた時期が長らくあった。もちろん、そんな生活をしていて自分の悩みや後悔が晴れたことは一度たりとも無い。

そうして色んなモノを無くした。人もお金も時間も機会も。なんもかんも無くなって、ようやく気づいたのが、「こんな事してても何の意味も無いんだ」って事。

バカってのは、こんなに無駄な回り道をしなければならないのだ。こんなに勿体ない時間の使い方をして、これだけ多くのものを亡くして、ようやく大事な事に気付いたのだ。

過ぎてしまった事は仕方ない。後悔するような事をしてしまった(もしくは、しなかった事で後悔している)なら、そこからどうしたらより良くなるのか考えて動く。そういう、至極当たり前の事に。

それから俺はあまり後悔しないようになった。大抵どんな事が起きたとしても、決まっていつも、「ヤベー!けど、そんな事言っても始まらないし。さて、どうするか?」って考える。
どうせ何を言っても何をしても何も変わらないこの世界の中の事実について、俺の手で変えることができるとしたら俺から見たこの世界の見え方くらいだ。だったら、自分の手でそれを少しでも変えられるように。そうやって、仕方無さだけを頼りに動いてきた。
どうしたら良くなるか?そんなことをいつでも考えているからなのか、その切実さがどこかに届いたからなのか、ふとアイデアが浮かんでくる瞬間もある。

起きた事実はもう戻らないし変わらない。時間は元に戻らないし、「思った通りにいかないよなあ」と思ったときには、時既に遅し。いつだってそうだ。
でも、気が付いた時が一番速い瞬間なのだ。それより速く気付くタイミングは無いんだから。

だからそっからやり直せばいいのだ。今だから考えられる最も良いと思われる策をこうじれば良い。それしかないし、できることはそれだけだ。

これに気付いてから俺は生きていくのが少し楽しくなった。

願わくば、他の誰かもそうであって欲しい。