シオタの塩分過多な日常

シオタです。「しょっぱい自分が、塩分過多な毎日をどう過ごし、いかに楽しく生きていくか」がテーマです

点数なんてただの数字です


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できることも、やってることも、それによって起きている事も、そのほとんどがしっかりと結果に繋がっている。それも、イメージしていたモノを超えたレベルの反応を伴っている。

起きている事はただの事実だ。そこに、過大も過小もない。だから、自分達のやっている事もやろうとしている事も、その根本になっている俺たちの想いも間違っていないと確信している。

だけど、それでも、不安はつきまとう。いつまで経っても不安を消し去ることはできない。やっているのはボリュームコントロールみたいなもんだ。大きくしたり小さくしたり。それも自由自在とはいかない。

例えば、誰かが下した評価が思っていたような内容では無かった時。例えば、誰かが言った感想が突き刺さるような内容だった時。例えば、何かのテストで思っていたような結果が出なかった時。そんな時に、いつもつきまとっている不安が炎みたいに自分の中で一気に燃え上がる。その勢いは凄い。これまでにちょっとずつ積み重ねてきた実績に基づく自信すらも急激に焼け尽くされて消し炭になるまで焼かれ尽くす感覚だ。本当に一瞬で。ガタガタと崩れ落ちるくらいに。

そこから立ち直るのは大変だ。何をどうしたって不安は拭えない。もうダメなのかもしれないとか、これからどうしたらいいのかなとか、思わず途方に暮れてしまいそうになる。

本当は、打ちひしがれて、不安の炎に焼かれ尽くしてるんだから、一人になって落ち込んで不安に焼かれ続けていたいのだ。消えて無くなりたい程ツラいけど、そっちの方が楽チンだから。その状態でずっといられるなら、そうやって落ち込み続けていられるなら、それで全部諦められるなら、もう何にもしなくて済むんだったら、想いも何もかも全部消えてなくなるんなら、こんなに楽な事は無いのだ。だから、一人で悲劇の主役として影を漂わせながら生きていられたらどんなに良いか。

だけど、そうはいかないのだ。俺には仲間がいる。一人にはなりたくたってなれないし、一人になる必要もないし、いつだって自分の事以外に、まずは仲間の事を考えてしまうのだ。仲間と一緒に未来の世界を考えてしまうのだ。考えないといけないのだ。そのお陰で、不安に焼き尽くされることはずいぶん減ったし、不安の炎に焼かれても消し炭レベルまで焼かれる事はなくなったようなのだ。もちろん、ノーダメージって程は強くは無いので、キッチリダメージを受けた後で、そのマイナスを一旦ゼロまで戻してからプラスまで持っていくので、めちゃくちゃに大変なのは言うまでもない。「あのまま落ち込んでいるだけで良かったなら楽なのになあ」と思わないでもない。

まあ、そんなわけにはいかないので、どうにかこうにか建て直してやっていくしかないのだ。それしか俺にはできないし。だからこそ、一人じゃなくて良かったなと思えるし、仲間がいるからやっていけるんだなと思うのだ。一人じゃなんにも出来ないのは言うまでもないんだし。

俺は出来そこないだ。およそ計測可能な能力については下から数えた方が早い位の力しかない。これは事実だ。と同時に、ほんの幾つかの事については、大抵の人には真似出来ない能力がある。その能力は仲間と一緒だと類稀な力を発揮する。だけど、その能力は、計測不能な能力だ。これも事実だ。

そんな複雑な要素でできているんだから、他人に評価なんてできるはずは無いし、されたとしても、そんなものを受け入れるいわれは一つも無いのだ。ここまで書いてきてようやく辿り着くのだ。

「自分の価値は自分で決める」って事に。もちろん「自分の評価は他人が決める」ってのも理解はしている。だからこそ、評価は勝手にしてください。もちろん真摯に受け止めます。そのうえでしっかり理解して分析して、使えるものは取り入れるし、使えないものはゴミ箱へ。自分で決めた自分の価値を更に高める為に。

そんな価値観と世界観で生きていくのも案外と楽じゃないけど、こうやってやってかないとすが止まっちゃうかもしれません。