シオタの塩分過多な日常

シオタです。「しょっぱい自分が、塩分過多な毎日をどう過ごし、いかに楽しく生きていくか」がテーマです

早く人間になりたいと心から願っている


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「俺は本気だよ」

俺が発するこの言葉の意味は、世界中でたったの一つだけだ。それは、言葉通りの意味。本気だと言うだけ。それ以外の意味は無い。それ以外の解釈の余地は無い。

「そうは言っても、受け取った側の解釈だってあるでしょ?」そんな声が聞こえてくるような気もするけど、受け取った側でどんな風に解釈をしてもらってもいっこうに構わないし、例えそれがどんな解釈であろうとも、『解釈』が入った時点で、俺が発した言葉の意味とはずれていく。それが例えどれだけ些細なズレであっても、もうその時点で当初に俺が発した言葉の意味とは異なっていく。

そんな、書いてみれば至極当たり前の事を、俺は大きく勘違いをしていたようだ。

俺は、俺が発した俺の言葉が、俺の思った通りの意味で伝わっていると信じ込んでいたらしい。相手が解釈をしたという事実があったにも関わらず、俺は勘違いをして、勘違いを続行して、勘違いをしたまま、なぜ言葉の通りに行動しないのか?そんな疑問をぶつけてしまったのだ。

もちろん、ぶつけられた相手はたまったもんじゃないだろう。そもそも、何を言われているのかすら分からなかったんじゃないだろうか。何しろ、自分が受け取った言葉をただ繰り返して言われるのだから。しっかり受け取ったにも関わらず、「ちゃんと受け取っていないように感じる」と一方的に言われるのだ。それをもし俺が誰かに言われたんだとすると、なかなかに耐え難い行為のはずなのだ。

そんなことも分からない俺は、恐らく、終わっている。どれだけ丁寧な言葉で表現しても、「クソ野郎」以外の表現が出てこないくらいにはクソ野郎だ。これについては弁解の余地は無い。

で、そのクソ野郎シオタは、クソ野郎なりに考えたのだ。
なぜ、こんな簡単な事にすら気付けずに、暴走してクソ野郎になるまで止まれなかったのか?それが分かれば、今後が多少はましになれるんじゃないだろうか?そんな事を考えてみたのだ。

で、辿り着いたのは、「俺はもしかしたら期待していたんじゃないだろうか」という
事だ。

期待。そう、期待だ。流れはこんな感じだろう。

俺の言うことはそのままの形でうけとってもらいたいなあ→そのままの形で受け取ってもらえるんじゃないかなあ→受け取ってもらえるんだと思うよ→受け取ってもらえるだろう→受け取ってもらえるはず→受け取ってもらえるに違いない→何で受け取ってもらえないんだよ!

書いてみると、完全にヤバイやつだ。俺は、こんなにヤバイヤツだったのかと、自分自身に大いに幻滅した日だった。

これからの生き方で、このクソ野郎がどれくらい人間に近付いていけるのか。性根を叩き直して、人間を目指して精進していく必要がある。