シオタの塩分過多な日常

シオタです。「しょっぱい自分が、塩分過多な毎日をどう過ごし、いかに楽しく生きていくか」がテーマです

まるで仙豆を食べたかのような超回復


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回復力には自信があります。

体の話では無い。精神面の話だ。

自分で言うのも何だけど、俺は一般的に見てもとても繊細な部類の人間だと思う。神経が細いとか、気弱だとか、小心者だとか、臆病だなんて表現の方が近いような気もしているけど、それくらい繊細なのだ。だから何かをやってしまったと思ったときには、それ相応のダメージを被るのがいつもの事だ。もちろん、そうならないように様々な防衛策を考えて、常に最悪の事を考えて、できるだけリスクを予見しようとする取り組みについては、一般的に見てもかなりのハイレベルだと自覚している。だからこそ、起こしてしまったやらかしについての精神的ダメージが大きい。

だけど、そこからの回復が速いのだ。大抵の出来事については、事が起きてショックを受けた次の瞬間には、どうやってリカバリーしていくのかを考え始めているのだ。このスピードも一般的に見てかなり速いと自覚している。ただ、そんな俺でも時間がかかる事があるのだ。それが、昨日のような自分の中の闇に繋がるような事だ。そうなるともう未知の世界だ。でも、そこにはある法則が潜んでいるんじゃないのかなと今は考えているのだ。それは、自分自身のダメさを見ないように見ないようにして無意識で避けているからこそ起きているのではないかという事だ。

自分自身のダメさを見ないようにする事で、現実を真正面から受け止めず、その逃げているという事実からも逃げようとした結果、「自分なんてダメなんだ」とか言って落ち込むことで思考放棄しようとしてしまうのが原因なはずなのだ。なので、そもそものスタート地点に戻って、自分の至らなさを真正面から見つめて、受け止めて、如何にどうしようもない事柄だったのかを客観的事実として把握し、それを持ち前のリスク対策を考える力で考えて、対策を練り、それをどうやって実行するのかを考える。これを、一般的に見てかなり速いという対処スピードで自分の中で瞬時に行うのだ。

こらによって、はたから見ると「落ち込んでいたのは何だったんだ?」と誰もが思うようなスピードで回復しているのだ。だけど、当事者の俺からすると、この時の体感スピードはめちゃくちゃに長いし、体感しているのは物凄く粘性の高い空気の中でもがいているような感覚なのだ。そうして、もがくなかでようやく身動きが取れるようになってきて、そして、抜け出す。そんな感覚なのだ。

だから、俺の中には長時間の苦しみを何度も経験している実感があるのに、他者から見た俺は、落ち込んでもすぐ回復して何事も無かったかのように振る舞うヤバイヤツとして認識されているのかもしれない。

声を大にして言いたい。

俺はヤバくない。
ただ、人より繊細で、人より回復が速いだけなのだ。だから、どうぞいたわりの心で接して下さい。