シオタの塩分過多な日常

シオタです。「しょっぱい自分が、塩分過多な毎日をどう過ごし、いかに楽しく生きていくか」がテーマです

ストップ、ドントムーブ!続行!


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今日もジムがお休みだ。

ここ数日間、ジムが遅めのお盆休みの為か、休館している。

なので、俺もトレーニングをしていない。何らかの理由でトレーニングをしていない期間が何日間か発生するといつも思うんだけど、俺はもしかすると、トレーニングが好きでは無いのかもしれない。今回もそうだし、いつもそうなんじゃないかと思うのだ。

レーニングを続けているといつも思うのは「トレーニングのペースを崩したくない」という事だ。でも、一旦、休館日やどうしても外せない予定などで、2日以上の休みを入れる事になった場合、次にトレーニングを再開するのに結構強めの精神的負荷を感じるのだ。

そして、その日数の増加に比例して、再開時の精神的負荷はぐんぐん高まっていくのがハッキリと分かるのだ。その分岐点が大体、4日だ。1日目だと、次のトレーニングでやるメニューを考えてる状態だ。ここではトレーニングは楽しみにしている段階だ。2日目だとその前までの筋肉痛が弱まりつつあり、はやく次のトレーニングしたいなあと思っている状態だ。3日目には、筋肉痛はほぼ無くなり、やや不安が出てくる。それまでのトレーニングの効果が筋肉痛の弱まりと比例して、薄まりつつあるんじゃないかと思うのだ。次のトレーニングは明日にはやりたいなあと思っている状態だ。そして、4日目。ここまで休むと体が楽なのだ。筋肉痛も無いし、トレーニングのツラさや苦しさを忘れつつあるのだ。こうなってくると、次にジムに行くのは億劫になってくる。行きたくない気持ちがめちゃくちゃ高まってくる。いや、行きたくないのだ。もはやあんなキツい事はやりたくない。

たった数日休んだだけでこれだけ変わってしまうのだ。自分のことながら、驚くほどの変わりようだ。こんな事が、1年間の中で何度も繰り返されるのだ。これは、本当に疲れる。でも、どうしようもないのだ。継続していればキツいよりも、トレーニングをやりたくなる気持ちの方が上回っているので全然問題ないのだ。その時は、トレーニングのために、休息も栄養も結構小まめに考えている。でも、休みがちになっていると、休息も栄養も結構適当になってしまう。

こんな自分を変えていかないとなと思いつつも、結局、トレーニングを再開する時にかなり高めの負荷を乗り越える事しか今のところの解決策はない。

まあ、解決策が一つでもあるうちはまだ良いのかなとも思っているけど、そのうち気持ちが奮い立たなくなる時が来るのかもしれないと思うと、その時が今からとても怖いのだ。